「言語化が苦手なんです」
そう感じている人は、とても多いように思います。うまく説明できない、言葉が出てこない、何を書けばいいか分からない。すると多くの人は、「語彙力がない」「才能がない」と考えてしまいます。
でも、私は少し違う見方をしています。
それは、言語化の問題は、言葉の問題ではないということ。
そして今、AIが当たり前に使われるようになったことで、この「言語化」という行為の意味は、以前よりもはっきりしてきました。
この記事では、
・言語化とは何なのか
・なぜAI時代にこそ重要になるのか
・そして、その先にある「人の在り方」
について、私自身の考えを書いていきます。
スキルや才能の時代は、ひとつ前の話になった
スキルや才能が必要なくなった、という話ではありません。
ただ、それだけで価値が決まる時代は、ひとつ前のものになったと感じています。理由はとてもシンプルで、情報が、あまりにも多くなったからです。
たとえば、YouTubeやInstagramを開けば、操作方法やテクニックを解説している動画はいくらでも見つかります。しかも、それらの多くは無料で、かなり分かりやすい。
少し前までなら「知っている」「できる」こと自体が強みだったものも、今では、探せばすぐに手に入る情報になりました。
では、その先に何が残るのか
ここで、ひとつ問いが生まれます。
学べる環境がこれだけ整っている中で、そのスキルを使って、何をするのか。どこへ向かうのか。
操作ができることよりも、発信できることよりも、その先の「使い方」や「選び方」のほうが、はるかに重要になってきました。
情報が多いほど、迷いも増える
情報が増えたことで、逆に迷いやすくなった人も多いように思います。
- どれが正解なのか分からない
- 全部やらなければいけない気がする
- 学んでいるのに、前に進んでいる感覚がない
これは能力の問題ではなく、選択の軸が見えにくくなっている状態です。
だからこそ、問われるのは「在り方」
情報がそろった今、差が生まれるのはスキルの量ではありません。
「何を選び、何をやらず、どんな姿勢で向き合うのか?」つまり、人としてどう在るのか。
この部分こそが、AIや情報では代わることのできない領域なのだと思います。
言語化とは、うまく話すことではない
「言語化が苦手なんです」そう言う人の多くは、自分は話すのが下手だとか、言葉のセンスがないとか、そう感じているように思います。
でも、私はここに大きな誤解があると感じています。
言語化=表現力、ではない
言語化という言葉は、いつの間にか「うまく説明できること」「分かりやすく話せること」と結びつけられるようになりました。
その結果、声が大きい人や、言葉が軽やかに出てくる人だけが「言語化できている人」のように見えてしまいます。
けれど、本来の言語化は、表現の上手さとは、あまり関係がありません。
言語化とは、考えを整理する行為
私が考える言語化とは、自分の中にある感覚や思考を、整理する行為です。
感じていることを、無理にきれいな言葉にすることではなく、
- 何が気になっているのか
- どこで引っかかっているのか
- なぜ、そう感じたのか
そうした断片を、一度テーブルの上に並べてみること。
言葉にできないのは、考えていないからではない
言語化できないとき、多くの場合、その人は「考えていない」のではありません。
むしろ、考えすぎていることのほうが多い。
情報も、感情も、経験も、頭の中に同時に存在していて、どこから手をつければいいか分からない状態
になっているだけです。
これは、能力の問題ではなく、整理の問題です。
言語化は「見える化」に近い
言語化は、頭の中をそのまま外に出すことではありません。
一度、分けて、並べて、距離をとって眺める。
それによって、はじめて自分自身も「そういうことだったのか」と気づく。
言語化とは、他人に伝えるための技術というより、自分を理解するためのプロセスなのだと思います。
だから、言語化はAIの時代に意味を持つ
ここまで整理すると、ひとつの流れが見えてきます。
- 情報はすでに、十分すぎるほどある
- スキルや手順も、簡単に学べる
- AIが答えを出せる範囲は、これからさらに広がる
そんな時代だからこそ、自分の中を整理し、何を選ぶのかを自覚する行為としての「言語化」が、重要になってきました。

私はAIを「問いのため」に使っている
私は、AIをよく使っています。
けれど、それは答えをもらうためではありません。
私にとってAIは、考えるための相手であり、問いを深めるための存在です。
AIに「質問してもらう」という使い方
何かについて書こうとするとき、私はまずAIにこう頼みます。
「このテーマについて、質問してみて」
するとAIは、そのテーマに関する問いをいくつも投げ返してきます。それらは、どれももっともらしく、一見すると「正解」を探すための質問にも見えます。
答えは、考え込まずに返す
その質問に対して、私はあまり考えません。整えようともしないし、きれいな言葉を探すこともしない。浮かんできた言葉を、そのまま返します。
なぜなら、迷った瞬間、その答えは本音から少し離れると感じているからです。
直感は、潜在意識から出てくる
すぐに出てくる答えは、論理的ではないかもしれないし、説明不足に感じることもあります。
でもそれは、頭で組み立てた答えではなく、これまでの経験や感覚が重なった場所から出てきたものです。私は、その直感こそが、自分にとっていちばん正直な答えだと考えています。
問いと直感を往復する
問いに答え、その答えを見て、また問いが生まれる。このやり取りを繰り返していると、最初はぼんやりしていた考えが、少しずつ輪郭を持ちはじめます。
自分でも気づいていなかった「なぜ?」の奥に、静かに辿り着くことができる。

なぜ、人ではなくAIなのか
この問いは、よく浮かびます。
もし相手が人だったら、私はどこかで「正しい答え」を探してしまいます。期待に応えようとしたり、よく見せようとしたり、無意識にブレーキがかかる。
AIは、評価をしない
AIには、評価も期待もありません。
だからこそ、安心して本音を出すことができます。
私はAIを、本当の自分を出すための訓練相手として使っています。
人に見せる前に、まず自分自身と向き合うための場所。それが、私にとってのAIとの対話です。
AIは、答えを出す存在ではない
少なくとも、私にとってAIは、「正解を教えてくれる存在」ではありません。
問いを差し出し、考える材料を並べ、最後の決定を人に委ねる存在。AIがあるからこそ、私は以前よりも、自分の在り方について考えるようになりました。
AIが答えられる世界と、答えられない世界
AIに聞けば、多くのことが分かるようになりました。
調べ物も、要約も、構成案も、文章のたたきも、ほんの数秒で返ってきます。
「どうやるか」
「どんな選択肢があるか」
「一般的にはどうなのか」
こうした問いに対して、AIはとても優秀です。
AIが答えられるのは「正解がある問い」
AIが得意なのは、過去の情報や事例をもとに、正解が存在する問いに答えることです。
- 操作方法
- 手順
- よくある型
- 効率の良いやり方
これらは、すでに誰かが通ってきた道であり、情報として蓄積されているものです。だからこそ、AIは迷わず提示できます。
でも「どれを選ぶか」は決めてくれない
一方で、AIには引き受けられない領域があります。
それは、
- どれを選ぶのか
- なぜ、それを選ぶのか
- その選択を、自分としてどう受け止めるのか
という部分です。
選択肢はいくらでも並べられる。
でも最後に「これにする」と決める瞬間、そこには必ず、人の感覚が介在します。
正解がない問いが、これから増えていく
これからの時代、正解がある問いは、ますますAIが引き受けていくでしょう。
その一方で、
- 自分は何を大切にしたいのか
- どこまでやり、どこからやらないのか
- どんな距離感で関わりたいのか
こうした正解が存在しない問いは、人の側に残り続けます。
そして実は、人生や仕事で迷う場面の多くは、この「正解がない問い」に直面したときです。
AIがいるから、人の在り方が浮き彫りになる
AIが普及したことで、人の価値が薄れたように感じる人もいるかもしれません。
でも私は、逆だと感じています。AIが答えを出せるようになったからこそ、人が引き受けるべき領域が、はっきりと見えるようになった。
それは、感じること。違和感に気づくこと。理由がなくても、選ぶこと。
AIは、人の代わりではない
AIは、人の代わりになる存在ではありません。
問いを整理し、視点を広げ、材料を差し出す存在です。
そしてその先で、
「私はどうしたいのか」
「私はこれを選ぶのか」
そう問い返される。
AIがいる時代とは、人が考えなくてよくなる時代ではなく、人が考えざるを得なくなる時代なのかもしれません。
まとめ
- スキルや才能が重要でなくなったわけではない
ただ、それだけで価値が決まる時代は、ひとつ前のものになった - 情報はすでに、過剰なほど手に入る
YouTubeやSNSで操作やノウハウは無料で学べるようになった - 情報が増えたことで、逆に「何を選ぶか」に迷う人が増えている
これは能力の問題ではなく、選択の軸が見えにくくなっている状態 - 言語化とは、うまく話すことではない
自分の中にある感覚や思考を、分けて、並べて、整理する行為 - 言語化できないのは、考えていないからではない
考えが多く、絡まっているだけのことが多い - 私はAIを、答えを出すためではなく「問いのため」に使っている
問いに対して直感で答えることで、自分の本音に近づいていく - AIが答えられるのは、「正解がある問い」
しかし、人生や仕事で迷う場面の多くは、正解がない問い - AIがいるからこそ、人の在り方がはっきりと浮かび上がる
何を選ぶのか、何を選ばないのかは、人が引き受ける領域 - AIは、人の代わりではない
人が考えるための材料を差し出し、問いを返す存在
言語化とは、自分をよく見せるための技術ではありません。
情報や答えに振り回されず、「私はどうしたいのか」を引き受けるための行為です。
AIが答えを出せるようになった今、私たちは考えなくてよくなったのではなく、むしろ、考えずにはいられなくなった。
だからこそ、問いを持ち、言葉にし、在り方を確かめる。
それが、これからの時代を生きるための静かだけれど、確かな軸になるのだと思います。

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